異なる土地のフィン・ユール邸には実は違いが。その変遷から見えてくるものとは?
2025.08.03
北欧ヴィンテージ家具好きなら一度は訪れたいフィン・ユール邸。私店長はデンマーク買付の道中に度々現地のフィン・ユール邸は訪れたことがあるものの、長年高山のフィン・ユール邸は機会がなく行けず仕舞いでした。そんな中、今回はたまたま3週間のうちにデンマークと高山の両方のフィン・ユール邸を訪れる機会に恵まれたので、今回はフィン・ユール邸の変遷をテーマにブログを書きたいと思います。
フィン・ユールとは?

フィン・ユール(Finn Juhl)は1912年デンマークに生まれ、コペンハーゲンの王立デンマークアカデミーで建築を学びます。卒業後、デンマークを代表するモダニズム建築家ヴィルヘルム・ラウリッツェンの事務所で10年間働き、1945年に独立。インテリアと家具のデザインを専門とする事務所を設立します。彫刻家のような発想でデザインフォルムを生み出し、技術的にも時代の先端を行く家具を多く発表しました。 ユールのキャリアは、毎年開催されるコペンハーゲン家具職人組合の展覧会への参加によって開花されます。この展覧会は、若手建築家と伝統的な家具職人とのコラボレーションを通じて、デザインの革新を支援する国のイベントでした。職人であるニールス・ヴォッダーとのパートナーシップで大きな成功を収め、「ペリカンチェア」や「チーフテンチェア」など、数々の重要な作品を制作した。
フィン・ユール邸とは?
デンマーク現地のフィン・ユール邸は、フィン・ユールが1942年に自ら設計・建築した自邸。現在はコペンハーゲン郊外のオードロップゴー美術館の敷地内にあり、最初の建築から改築増築がされた最終形が残された状態で一般公開されている。
飛騨高山のフィン・ユール邸とは?
岐阜県高山市にあるフィン・ユール邸は、フィン・ユールが1942年に建てた自邸を2012年に株式会社キタニの敷地内に忠実に再現し建てられた施設で、NPO法人フィン・ユール アート・ミュージアムクラブによって運営されています 。施設内は見学が可能で、今回伺った際にはたっぷり1時間強の解説をしていただいた。常に同じ家具を展示しているわけではないので、時期によって置いてある家具は異なる。
両者の違い
両者の最大の違いは、現地のフィン・ユール邸は改築増築が繰り返された最終形態が残されているのに対し、飛騨高山のフィン・ユール邸は一番初期の図面をもとに建てられたという点。その違いを見ることで時代とともにどのように変化していったのかを読み解く手がかりとなる。早速見てみましょう。


まずは外観から。現地のフィン・ユール邸と同じ方角を向くように建てられている。国内だと一般的には南を向く大きく光を取り込むための開口部が西を向いているが、緯度の高いデンマークでは冬になると太陽の高度が低い状態が長く続く夕方のような天気となり、それに加えて夕方には仕事を切り上げて夜は家族と過ごすという文化柄、その西日を有効的に活用するために西を向いているのだそう。太陽の光が黄色いオーニングを通過することによって、室内に暖かみある色を取り込む工夫がされている。左側の建物は改築されていない分、高山フィン・ユール邸の方が短い。ベンチ上の藤棚は、高山が雪国のため設置を見送ったそう。


リビングエリアへ。東側の壁には本棚と共に小さめの窓。戦時中に建てられたため、空襲警報時の灯火管制が発令された際、すぐに閉められるようレールがない吊り戸を採用している。

現地フィン・ユール邸では窓枠の上部が青く塗られているが高山フィン・ユール邸は塗られていない。塗られていないのが初期かどうかは解説員の方もわからないという。


現地と高山では置かれている家具が異なる。高山フィン・ユール邸ではキタニ製のNV53に加え、その前に置かれたテーブルは、この建物の構想当時、再現するなら面白いものをと考え、昔の雑誌に掲載されていたNV53の前に置かれていたこのテーブルを再現して作られた。わずかに折りたたみできるバタフライ式天板は、立食パーティーをするときに少しでもスペースを広げるためにデザインされたと想定されるそう。


現地ではチーフティンチェア、高山ではブワナチェア。奥のテーブルは幅広の一台のテーブルを使用している現地に対して、現地では小さいものを二つ並べている。





フィン・ユールのカクテルベンチ。クッションを畳めば片方はサイドテーブルとして使用できる。簡便なベンチですが、外を眺められるこの空間においては特等席。






初期の図面ではこちらの部分には棚はなかった模様。こちらのスペースから中二階のようになっているが、現地では地下室がある関係で高くなっている。高山のフィン・ユール邸には地下室はない。


玄関を入ってすぐ左側の仕事部屋。床はコンパスなどの設計に使う道具を落としても問題のないようコルクの床になっている。初期図面ではリビングに抜ける扉があるが、現地フィン・ユール邸では壁になっている。


ダイニングエリアは特に増改築はない模様。




ゲストルームとなっている部屋は元々は子供部屋。二度結婚しているフィン・ユールは、最初の奥さんと離婚した後、子供部屋をゲストルームにしたそう。壁にイグサを使用していて、時間割や図面などを壁にピンで留められるようにするためのものだったとのこと。現地には天窓はあるが、高山にはない。




初期と比べると最も違いのある部屋はこの寝室。二人目の奥さんがもっと空間が欲しいということで壁をぶち抜いて増改築した。家具のデザインに置いて構造音痴とも呼ばれ強いこだわりのあるデンマークの巨匠中の巨匠フィン・ユールですが、奥さんの意見を取り込んで増改築するという点になんだか人となりや人間味を感じます。高山ではシングルベッドを二つ並べているが、これはアメリカのベーカーファニチャーに提供した当時の図面からキタニが再現して製作したもの。構造的に意味があるかは疑問だが、フィン・ユールらしい貫が特徴。

このほか、現地にはない靴を履くためのソファが高山フィン・ユール邸には設けられている
今回、デンマークと高山という異なる土地に建つ二つのフィン・ユール邸を訪れることで、初期設計と最終形との違いをじっくりと観察することができました。現地邸には、時代とともに変化した生活様式や家族構成が反映されており、一方で高山邸には、フィン・ユールが描いた初期の理想の住まいが忠実に再現されていますが、家族構成の変化や奥さんの意見によって増改築が行われた点には、フィン・ユールの人間味や柔軟性、そして彼自身の人生の軌跡が垣間見え、建築を通じて彼の変遷を追体験しているような感覚でした。
今回ご紹介した内容以外にも、フィン・ユールらしい繊細な作り込みや、空間に込められた思索の跡が随所に見られるフィン・ユール邸。建築家として「人が心地よく暮らすとはどういうことか」を問い続けたフィン・ユールの邸宅は、今を生きる私たちにとっても、住まいのあり方を考える大きなヒントを与えてくれる存在です。ぜひ一度、実際に足を運んでその空気を感じてみてくださいね。
北欧家具tanuki 北島